皓月庵

乙女ゲーム中心の趣味に走ったアナログ二次創作ブログ。マンガと小説のごちゃまぜ^^;

「夢見夢 その3」

酔狂元乙女さんからの頂き物です♪
※現パロ・オリジナルキャラが苦手な方はご注意

起承転結の『転』にあたる今話―――『ちょこ』さんは色々と経験しつつ、重大な決意に至ります。

それにしても羨まし過ぎるぞ! この話の『ちょこ』!!
リアルのこちらは、低気圧と戦いながらコンビニ弁当をつつき、猫と晩酌の日々だというのに~~~(T-T)
という事で、現実のちょこはこんなものなので、お話の中で多少いい思いをしても許してやって下さいねwww

では許して下さる方のみ、続きからどうぞ♪


挿絵は感謝を込めて、酔狂元乙女さんへ進呈します。
他の方はご遠慮下さいね。




【皓月ちょこ】――これが千世子の漫画家としてのペンネームだった。
この話はその漫画家・千世子とある男との、不思議な夢物語である。

『夢見夢』 その3


10年後――。

(お疲れさまでした、斎藤さん…本当に…お疲れ様……)

『誠の武士』最終回。
妻の時尾と子供達・孫達に最後を看取られて、彼は静かに目を閉じた。
二か月前にENDマークを書き入れたその最終回は、ほどなくして週刊誌に掲載され、そして異例の早さで単行本が刊行された。
今、千世子の手元には、これから書店の店頭を賑わすであろう初版単行本と共に、オリジナルの手書き原稿が出版社から戻されてきていた。その生の原稿を手に取った瞬間、彼女の胸中は熱い何かで満たされた。

(長かった。長かったよ?でも、これで満足してもらえたかな……)

早いもので、千世子が元禄時代から幕末へ転生させた彼の物語を描き始めて10年。
出版化されて8年の歳月が流れていた。
出版が実現してからは千世子は他の仕事を全て断わり、斎藤の物語を綴る事に全身全霊を傾けていた。
そして、今、その仕事に一区切りがついた―――。

実は、千世子が創り上げた新選組の斎藤一を題材とした歴史漫画「誠の武士」は、大ベストセラーになっていた。
彼女が自宅で密かに描き綴る筈だった原稿が、何故出版されているのか。
それは、自宅の仕事机にあったその原稿が、偶然訪ねてきた敏腕編集者の目にとまったからだ。
彼は何気なく手に取ったこの漫画をすっかり気に入り、世間に公にするよう千世子を熱心に口説いた。
過去に元禄・斎藤のコメディ漫画が連載中止の憂き目にあった経緯を思い、千世子は出版化を固辞し続けたが、結局、折れた。
担当者の熱意に絆されたことに加え、やはり、まだ若かった彼女なりに、夢も希望もあったのだ。
プロとしてどこまで通用するか試したい。そして自分のライフワークになるかもしれない作品を人に見て欲しい、評価されたいと願うのは自然な成り行きだった。

史実と虚構を絶妙のバランスでミックスさせたその歴史漫画は、少年誌ではなく少女誌から出版の運びとなった。
あくまでシリアス路線を貫き、想定読者層が好む甘いロマンスやコミカルな要素が少ないにもかかわらず大きな反響を呼んだ。
本来の読者である少女達のみならず、その姉世代、母親世代をも巻き込んで、皆、主役の斎藤一を筆頭に新選組の隊士達に恋をしたのだ。


彼女は出版社から戻された大切な原稿を机の上に置き、立ち上がって台所に入る。
この壮大な物語が終わりを告げた時に開封しようと、福島県から取り寄せていた銘酒を冷蔵庫から取り出した。
普段なら日本酒は滅多に飲まないのだが、この特別な夜に共に乾杯したい相手がいた。
彼女はクリスタル製の冷酒グラスを二つ盆に載せ、庭に面した座敷に運んだ。

縁側に正座し、月見酒。
千世子が愛した美しい月は、10年前と何一つ変わらず皓々と光を放っていた。

(早くおいでよ、斎藤さん。先に呑んじゃうよ)

数日前、千世子は長年世話になった出版社へ自ら足を運んで、担当者と面会していた。

「先生、わざわざお越しいただかなくても、こちらから伺いますのに」若い担当者は恐縮していた。
「いいのよ、大事な要件だから。あのね、最後の単行本もまもなく発刊だし、もう引退しようと思います」
「え?なんですって!もう一度仰ってください」
「だから……」言葉を繰り返さない内に相手は引き留めに出た。
「皓月先生はまだ30代じゃないですか!早すぎますよ。第一、ウチの看板なんですよ?無茶言わないでください」
「凄い若手が沢山いるじゃない。とっくに世代交代してるわよ。私もそろそろゆっくり過ごしたいの」

結局、編集長まで飛びだしてきて大騒ぎになった事を思い返し、彼女は苦笑した。


自分が創り上げたこの物語を彼がどう思ったか。
物語の中で彼にとって思い残すことは無かったか。
それらが心配だった。
史実を取り入れた以上、彼には随分辛い思いをさせた。
生死を分かつ様な大怪我もさせた。楽な人生だったとは口が裂けても言えない。
ただ一点誇れるのは、千世子の主観に置いてではあるが、最後まで誠の武士らしく生きてもらえた事だ。

(斎藤さん…気に入った?あなたの人生……。ここへ現れて教えてよ……)

彼の真意を知るのは怖い。
怒りや非難をぶつけられるのは怖い。
それでも、いい。彼にもう一度会いたかった。

酒の匂いにつられて、酒豪の彼が現れるかと封を切ってみた。
其々のグラスに注がれる透明のとろりとした液体に、月の光が反射した。

「乾杯!」独りごちて、月に向かってグラスを掲げた。
「乾杯!」斎藤を思い出して、頭の中で彼の声を再現してみた。

彼の声は無い。彼の姿も無い。
一人で杯を重ね、酔いが回る。
ついに、そのまま座敷で寝入ってしまった。

「千世子さん、風邪をひくぞ」

まどろみの中で声を掛けられた。
待ち望んでいた声が頭の中で響く。
ただ、どうしたことか、目を開けようにも体は金縛りにあって動かなかった。

「斎藤さん?来てくれたの」見えぬまま問いかけた。
「ああ、礼を言いに来た」静かで落ち着いた声が耳元に響く。

自分の思い出の中の元禄の彼より、幾分か大人びた声だった。
ああ、そうか、幕末明治の彼は70過ぎで亡くなったんだ、と原稿を思い返した。
今ここに来たこの彼は何歳の時の彼だろう?
斗南の頃?それとも西南戦争に出征した頃?女子師範学校に勤めていた頃?

「礼?」 

声のする方に向って手を伸ばした。その手を彼は包み込んでくれた。

「いい人生だった。ありがとう、本当に――いい人生だった」

その一言でこの10年が報われた。こちらこそ礼を言いたかった。
なのに、どうして目が開かない。どうして体が動かない。
千世子は声にならない叫びを上げた。

「あんたには、苦労を掛けてすまなかった。だが、俺にはまだやり残したことがある。だから、もう一度俺を描いてくれないか。つまり……」斎藤は口籠った。

ふっと、彼の気配が消えた。
代わりに飼い猫達が千世子を護る様に、横たわる彼女の体の上に乗ってきた。
もう以前に斎藤を引っ掻いた猫達はいない。
それでも、猫たちなりに『人ならざる存在が主人に襲いかかった』と思ったのだろう。

はっと目が醒めた。

(夢だったの……!?)

いや、あの冷たい掌の感触は、紛れもなく彼のものだった。そう信じたかった。

(斎藤さん、何を伝えたくて夢枕に立ったの?)

ふと、例の、机の上に広げたままである原稿が気になって、居間に戻った。
部屋の中に異変は感じられない。
千世子は最終回の、斎藤の臨終場面を描いた原稿を確認してみた。

「あ……」

最終ページの原稿の枠外に、ペンで何かが書かれていた。

―――この後、斎藤一は新しい時代に転生し、やがてその時代の『刀無き武士』としてこの国の為に尽力する。そして、彼の傍にはいつも千世子と云う女性がいた―――

「あ、は……斎藤さん……。駄目じゃない、こんな悪戯して……」

込み上げる愛おしさを押える為に、声に出して彼を咎めた。
涙がじわりと滲んだ。
原稿の上に涙を落とすまいと、彼女は慌ててティッシュを取って涙を拭いた。

「まだ、満足していないんだね?もっと…生きたいんだね?」
「案外、欲張りで我儘だよ、斎藤さん」
「いいよ。斎藤さんが納得するまで、描くよ」

涙声で何度も何度も呟いた。

(酷い男ね。まだ私を働かすんだね。これじゃあホストより性質の悪いヒモ男かも)

――でも、彼の望む新しい人生とは、何だろう?
――武士として生きる事を望んだ男が、この現代でどう生きればいいのだろう?
――そして、その人生に、どう自分が関われば………?

(とにかく出版社にまた出かけて、引退の事は取り消さなくちゃ……)

そう思い至った時点で、酒の余韻と眠気に襲われ―――彼女は床に沈没した。



***


斎藤が夢枕に立った夜から数年後。
千世子は京都市内のホテルで開かれた大手出版社のパーティー会場にいた。

「では、皓月先生の新たな代表作『特別警察・京都白桜隊』の大ヒット記念と映画化を祝して。皆様ご唱和ください。乾杯!」

千世子が駆け出しの頃には相手にもされなかった有名出版社の重役が、今はへりくだった態度で乾杯の音頭を取っていた。

(自宅で一人、漫画を描いている時間が一番幸せなのに)思わず溜息を吐いた。

この祝賀会の翌日には、抽選で選ばれた読者代表との交流会や原作縁の場所でのインタビューまで予定されていた。
言うまでもなく、千世子はこの手の仕事が一番苦手だった。
だが、己の作品のプロモーションの為にどれだけの資金と人手が投入されているかを思えば、彼女に断わる選択肢は無かった。

「会場の皆様、来年公開の実写版映画のプロモーションビデオがございます。今から上映いたしますのでどうぞお楽しみください」

舞台上のスクリーンに30代の男ざかりである斎藤と転生した幕末の志士達役の俳優のアップが映し出され、キャッチコピーが次々とテロップとして流れていく。
――『現代に甦る士魂』『平和ボケの日本を狙う世界各国の諜報部隊やテロ組織』
――『国際都市京都を舞台に平成の新選組・京都白桜隊が悪を斬る』
――『チーフ斎藤の壮絶な戦い』
撮影が既に終了した部分の派手なアクションシーンに、会場から感嘆の声が漏れた。

現代に生きるサムライ達――それを探す為、千世子は構想を練り、入念な取材を行った末に、公安組織で働く人々に焦点を当てた。
様々な分野、様々な職業で、これぞ現代のサムライと称えたい人物は幾らでもいた。
しかし新選組の成り立ちや役割を思うに、また明治になってからの斎藤の職業を鑑みるに、やはり国防や公安に係わる組織に斎藤を置くのが無理の無いような気がした。
そして仕事の内容もさることながら、例えば警察官には剣道の達人が多い。
現代の斎藤もきっと剣道をしたがるだろう。彼なら国体で活躍も出来る筈だ、と考えた。

そこで、活躍の場を少女誌から今度は人気青年誌へと変え、千世子は古都・京都の治安を護る架空の特別警察組織を創り上げた。それが「京都白桜隊」だった。
そして斎藤を、同じく転生した『沖田総司』と並ぶ隊のエースに据えた。
この設定は千世子の予想以上の人気を博した。
現代に転生した新選組幹部や幕末志士たちの活躍は、若い世代から歴史好き・警察物好きの中高年世代まで、男女を問わず話題となった。
但し、今作はエンディングまで10年もかけるつもりはなく、作中の時間の進行を敢えて早めていた。
それは最終回の後に彼が自分の前に姿を現す事を期待しての措置だったのだが、「公安ドラマに相応しいスピーディーな展開で飽きさせない」と大好評を得たのは皮肉なことだった。
現在、斎藤は順調に年齢と出世を重ね、責任ある立場になっていた。

(斎藤さん、今の人生に満足してくれている?)

パーティー会場で次々に寄ってくる人々に会釈しながら、千世子は斎藤の事を思い浮かべていた。
彼が夢枕に立ったあの不思議な夜以来、千世子の周囲に斎藤の気配は一切現れなかった。
彼が出現しないのは、彼が今の人生に満足している証。
その事に安堵すると同時に、胸が酷く痛みもした。

(どうやら、私が傍に居なくても大丈夫だったね……)

斎藤が原画にペン書きを残して望んだとおり、自分を登場人物にして都合よく彼と恋愛する事も出来たのに、彼女はその通りにはしなかった。
彼女にも一流の漫画家としての誇りと信念があり、前作同様、作品を私物化することなく、彼に相応しい人生を贈りたかったからだ。
だから、現代の斎藤ならこんな女性を選ぶだろうと、才色兼備で心優しく芯の強い女性を彼に添わせた。
案の定、彼女は男性読者のアイドルとなった。
二人が心を通わせたり、愛し合う場面をどうしても自分では描く事ができなくて、アシスタントに任せた事も一度や二度ではない。
千世子に出来たささやかな抵抗は、結局『彼らは任務を優先するあまり、いい年になっても未だに結婚できない』ということだけだった。

余談だが、アシスタントに依存した描写は他にもあった。
作中で、彼は様々な女性と出会い、交際する。
今でも恋人以外に、任務の都合上で付き合う仮初めの関係の女性がいた。
千世子はそういった女達とのシーンも自分のペン入れは最低限に止め、出来るだけ人に任せてしまっていた。

(馬鹿ね。商業作品にしたばかりに、自分が書きたくない設定を取り入れる羽目になっちゃって……)

出版社との契約がある以上、作品は彼女一人の自由にはならない。
斎藤や他の登場人物の各種設定や女性関係などには『青年誌である以上、男性読者のニーズに応じてほしい』との出版社側の意向が少なからず影響していた。
前作の大成功で彼女の新作への期待は大きく、出版社も市場リサーチを重ね、様々なことを提案してきた。
そして千世子も業界での『しがらみ』に縛られ、ある程度は出版社の意向を呑まざるを得なかった。

千世子が全ての情熱を注ぎこんで創ったと思い込んでいた現代の斎藤と新選組幹部達。
彼女の自負にもかかわらず、いつしか彼らは『男性読者が憧れるハードボイルドなキャラ』に徐々にシフトしてしまっていた。
この点に於いて、彼女は自分が周囲の状況に流されている事に気が付きながら、うやむやにしてしまっていた。

「皓月先生、あの作品の結末はどうなるのでしょうね?斎藤チーフと彼女の二人は結婚しますか!?」

自分を取り囲む誰かが尋ねる。よくある陳腐な質問だった。

「さあ、どうしましょうか。皆さんのご想像にお任せして、そろそろ最終回にするのが良いかもしれませんね」
「またまた、そんな御冗談を!」

人垣の中にいた編集者が怖い顔で自分を睨むのを無視して、千世子は本当にそう思っているんだから、と心の内で呟いた。



ようやく解放されて、千世子は用意されたホテルのスイートルームに戻った。
部屋の照明をスタンド一つだけ灯して、薄暗い中を手近な窓に近寄った。
その窓から市内の夜景を眺めて、斎藤は今頃何処で何をしているかと想像した。
彼の舞台世界はこの千年の都。取材と称して数日滞在していこうか……。

室内の空気に息苦しさを覚えて、彼女は部屋の反対側にあるバルコニーに出てみる。
年中観光客が絶えないこの国際都市の中心部は、こんな時間でもネオンが煌々ときらめいていた。

(今夜は新月かあ。こんな光じゃなくて……月が見たいな。私の好きな皓月……)

バルコニーは鴨川方向に面していた。
大抵の部屋は安全上窓が少ししか開かない構造なのに、こんなバルコニーがあるのは、スイートルームならではの特権だ。
『大先生』としてこのような厚遇を受けられるのは自分の努力の結果でもあるが、何よりも斎藤の存在があってこそだと、また彼の事を思って胸が苦しくなった。

夜風が頬を擽り、車や近隣の飲食店の喧騒に混じって、すぐ傍を流れる川の水音が耳に心地良い。

(そろそろ限界なんだけどな……。いいネタなんてもう思いつかない……)

確かに斎藤を、社会の矛盾・法の矛盾に苦悩しながらそれでも法を順守し、理想と信念を貫く『現代の武士』たるヒーローとして活躍させる事ができた。
しかし、ある程度の年齢になれば彼も前線を退かなければならない。
この先のアイデアに詰まっている以上、漫画のヒーローとしては引退の潮時だろう。
そして、彼に家庭を持たせるかどうかでも千世子は悩み続けていた。
史実が厳然と存在する幕末・明治の時は千世子も割り切った。
当時であれば色街の女性とも遊んだだろうし、会津で出会う妻・時尾のことを抜きに彼の人生を描くこともできない、と。
だが、現代では――。

彼の残したあのメッセージが、千世子の心を縛りつけていた。

(この先の展開、あなたはどうして欲しいの?このまま後輩の彼女と結婚して、後はデスクワークで平和に暮らすの?それで、いいの!?)

気を張るパーティー会場では極力控えていたアルコールが欲しくなって、彼女は室内に戻る。
備え付けの冷蔵庫にはありきたりの酒があるのみ。
仕方なしにルームサービスのメニューを開いて、ワインリストをチェックした。

「ワインならあるぞ」

後ろから声がした。だが、彼女は振り返らなかった。

(これは…重症ね。空耳だわ……)

「ワインならここにある。あんたの目で確かめたらどうだ」

その声は、はっきりと彼女の背後から聞こえた。
千世子はゆっくりと振り返った。

(いつの間に人が!?)


カット461夢見夢3


背後の応接セットのソファに、一人の男が座っていた。
暗い室内では判別し難いが、その男は黒いスーツに身を包み、じっと彼女に視線を向けていた。
暗さに少し目が慣れてきて、千世子は彼を硬い表情のまま見つめた。
20代の頃はさぞや美形として鳴らしたであろう、今は渋い美しさを放つ男だった。
ハードな日常を過ごしているのだろうか、若々しい顔つきの割に男の髪には白いものが混じり、頬はこけていた。
だが、スーツに包まれた肉体には、男が相当体を鍛え上げている事を窺わせる風情が漂っていた。
彼は立ち上がって千世子の傍に歩み寄ると、男らしい低い声で話しかけてきた。

「久しぶりだな。元気そうだ」
「さ、いとう……さ…ん」

――ひょっとして、物語の舞台のこの京都でなら、奇跡が起こるかも。
今朝、地元を離れる時、ちらりとそう思わなくもなかったが……。
まさか、本当に彼との再会を果たせるとは。

無意識に彼の胸に飛びこもうと、一歩足を踏み出した途端、彼女は『現実』に気が付いた。
二人の間に流れた歳月は、彼の気持ちに変化を生じさせているかもしれない、と。
そして千世子は世間から見れば、それなりの名声を得た大人の女。
その大人の余裕を失いたくなくて、じわりと溢れそうになる涙を必死で堪えた。

「相変わらず突然ね。あなたの剣と同じ。鞘から抜きざま、いきなり『バサッ』ってね」
「驚かせて悪かった。今夜のあんたが綺麗で、しばらく黙って見惚れていた」

(何言い出すの、この女殺し!心臓が止まるかと思うじゃない)

「あ、どうしよう…また斬られたわ」――動揺を苦笑で誤魔化した。

どうにか軽口で返せた事で、千世子は少し余裕を取り戻し、そして今夜のタイミングで彼が現れた事を天に感謝した。
このパーティー出席のために趣味の良い訪問着を身に纏い、それに合わせて綺麗に化粧を施していたからだ。
それは偶然とはいえ久しぶりの再会に、せめて少しでも自分を美しく見せたいと云う女心だった。

「で、どうしたの?何か不満があって、あっちの世界から出てきたんでしょう?」
「ああ、その通りだ」

この声、この瞳、この佇まい。
理想の男は、人生の折り返し点に近づいた大人の男になっても、彼女が愛した声と瞳と佇まいで千世子を魅了した。

「座ってゆっくり話さないか」彼は視線でソファを指し示した。

千世子は着物の裾が乱れないよう注意を払いながら、ソファの端に腰かける。
すると彼はすぐ横に腰かけてきた。
ソファの座面がへこむ感触が妙に艶めかしく感じられ、すぐ傍から伝わる男のセクシーな気配に眩暈がしそうだった。
同時に、彼の仕事の時と同じく容疑者を追い詰めるようなその態勢に、一体、どんなことで白桜隊チーフ斎藤一の不満か怒りを買ったのだろうと不安になった。

「赤で良かったか?」

僅かな沈黙の後、彼の方から口を開いた。
テーブルの上にはボルドーの著名シャトーで醸造されたワインが、美しいカッティングのグラスと共に置かれていた。

「うん。あ……よくこんな逸品が手に入ったね。高かったでしょう?」

この期に及んで色気の無い会話をする自分を情けなく思う。
だが、彼は意外な事に少し口元を緩めて、悪戯っぽい表情を見せた。

「ほら、前に密輸組織のガサ入れがあっただろう?その時の戦利品だ」
「あ、そうなんだ。そうね、思い出した」

それは連載中の青年誌の創刊10周年記念号での回だった。
『冒頭カラーページ10枚をあげるから、偶にはお色気も入れて欲しい』と頼まれて、1ページ目から某密輸組織の酒池肉林シーンで男性読者を満足させたのだった。
拳銃と特殊ナイフを手に藤堂と沖田と斎藤が秘密カジノを急襲する。
高級○○○ガール達があられもない姿で逃げ惑う中、同じく銃や刃物で応戦する犯罪者一味。
派手なアクションシーンも盛り込み、この点でも読者を喜ばせた。
途中からは、事前に客として潜入していて随分と役得を味わった原田と永倉が応援に回り、敵を一網打尽。
最後に隊長・土方が一味のボスを一喝して拍手喝采という、千世子的にはちょっと微妙な『読者サービス』に徹した回だった。

「確かにカジノのカウンターに最高級ワインやシャンパンを沢山描いたわ。で、これがそうなの?呆れた」
「昔、あんたの手料理を食べた時に、ワインの話をしていただろう?その時話題に出たのと同じ銘柄だと気付いて、 一本、拝借した。あんたに喜んでもらいたくてな」

本当にこの男は無自覚なタラシだ。こんな台詞で、こんな女心をくすぐる行動で、いとも簡単に恋する女の屍を累々と積み上げてしまう――そう千世子は嘆息した。
このホストより性質の悪い男の所為で、千世子の人生は良くも悪くも狂ってしまったと云うのに、彼は何事も無かったのようにワインの栓を開け、二つのグラスにルビー色の液体を注いだ。

「乾杯」「乾杯…」

軽くグラスを重ねた瞬間、涙が込み上げてきた。
10数年。10数年もの間、待ち望んだ瞬間なのに、なぜか素直に喜べない。
彼がこうして自分を訪ねてきたのは、彼の人生に納得がいかないから。
自分なりに良かれと思う事をあれこれと描いてきたつもりなのに、彼の貴重な歳月を無駄にしてしまったかもしれないと思うと、申し訳ない思いで一杯になってしまった。

「えっ、なにコレ」「ウッ」

グラスに二人同時に口を付けて、同時に言葉を吐いた。

「コレ、味が無いよ、斎藤さん」「確かに…無味無臭だな」

ふふ。ははは。
二人で小さく笑った。
斎藤の目尻に寄った微かな皺に目を留めた。自分にも同じような皺があった。
ふと、彼と自分が同世代になっていた事に気が付いた。

「やはり漫画のワインでは駄目だったか」しらっとした表情で言い放った。
「もう、まるで元禄の斎藤さんみたい。彼は特に天然キャラだったよね。」
「すまなかった」
「謝らなくていいよ。時代が変わってもこれが斎藤さんなんだよね。現代の斎藤さんはハードボイルド路線だけれど、時々は優しくて、ほんのちょっとドジをして。そこがいいの」

斎藤は自分のグラスと千世子のグラスをテーブルに戻すと、彼女の肩に左手を置いた。
打ち解けた空気が、ようやく彼に本題に入る事を決心させた。

「千世子さん、俺はあんたに伝言を残した筈だ」

千世子はハッとなり、斎藤を見つめた。

「なのに、どうして俺の傍にあんたがいない」
「商業作品なのよ。自分をヒロインにして美味しい思いをしようなんて甘い考えでは、読者は納得しないわ」
「では何故、出版した。読者が居なければあんたの自由に描けたんだろう?」

確かにそうだ。
元来、この作品は人目に触れさせるつもりは無かった。
しかし、彼女にも漫画家として一流でありたいと願う志があったのだ。
だから苦慮の末とはいえ、編集者の誘いについ乗ってしまった。
たかが漫画、されど漫画。 
斎藤と云う高い志を持った一人の男の一生を描く事は、そのまま、千世子自身の思想や哲学や人生感を描く事に繋がった。
自分が子供時代に影響を受けた数々の名作には及ばないにしても、自分なりの想いや哲学を漫画という形に代えて世に出したい――これは斎藤の存在の有無にかかわらない、むしろ彼女の根幹に関係する事柄だった。
そして、この孤独で厳しい作業が、何万という読者の励ましや熱い応援があったからこそ続けてこられたのも真実なのだ。

「ごめん。気に入らなかったんだ、今の人生」
「いや、感謝している。今の人生は――やりがいのある仕事や信頼できる仲間達に恵まれて、とても感謝している。ただ肝心な事が欠けている。明治の世で、俺に家族を与えてくれ、護るべきものは一つだけではないのだと、教えてくれたのはあんただろう?」

頭を殴られたような気がした。
彼の人生で未だ果たされていないもの。それは、暖かい家庭を持つ事。
現在の恋人と何年かの紆余曲折を経て、結局、婚約未満の宙ぶらりん状態になっていた。
もっとも編集者一同『この宙ぶらりんこそが、世のアイドルスターが独身を偽装するのと同様、女性読者を引き留めるのだ』と、彼の結婚棚上げに賛成していたのだが……。

「でも、いい加減、彼女と結婚したいよね?明治では結婚できたのに今回は……」

すると斎藤は意外そうな顔をした

「俺が彼女と結婚したいが為に文句を言いに来たと思っているのか?俺に足りないのは家庭だと。それなら大きな誤解だ。前回はあんたの描く通りの人生をすべて受け入れた。だが、今の俺は……彼女と結婚する気はない」

きっぱりと言い切って、彼はもう片方の手も千世子の肩に乗せた。
そうして斎藤の顔がすっかり近づいている事に、彼女は自分の頬が染まっていくのを自覚した。

「あ…そ、そうなの?」

斎藤チーフの彼女に同情すべきところを、逆に喜びを覚える自分の嫌らしさに気付いて、彼女は口籠った。

「確かに家庭を持つ事は多くの人にとって大切な事だろう。だがそれが全てではないのは、千世子さんが良く分かっている筈だ」
「まあね。結婚する、しないは人それぞれ。だから何が良くて良くないかなんて、誰にも決められないよね。大切なのはやはり、どんな人生でも自分らしく居られる事かな、なーんて、ね」

自分から彼と恋人の結婚の件を持ちだしたとはいえ、やはり彼女には辛い話題。
最後は冗談めかして笑って済まそうとした。だがそんな誤魔化しが斎藤に通用するはずも無かった。

「ならば、あんたに尋ねたい。それが判っていて……それが判っていながら、あんたが俺に贈ってくれた最高の人生が……この今の人生なのか?あんたはこれで俺が俺らしく生きていると、心から自信を持って描いたのか!?」

彼らしくない声の荒げ方に、彼女は戸惑う。
斎藤に激しく両肩を揺さぶられて、千世子の体は震えた。
そのままバランスを崩し、二人はソファの上で重なり合って倒れた。
この世の人間ではない筈の斎藤の体の重みは、紛れもなくこの世の人間、それも逞しい男のそれだった。

「何が、駄目なの…何が…欲しいの…」

千世子の目に涙が浮かんでいた。感情を露わにした彼が怖かったからではない。
結局、彼の期待に応えられず、この静かな男にこんな風に声を荒げさせた自分が不甲斐なかったのである。
瞳の奥の自分の本心を見破られたくなくて、彼女は眼を閉じた。

「何故、俺の人生を順調なものにした?」

斎藤の冷ややかな唇が、千世子の額に触れた。

「だって、前のは余りにも過酷だったでしょう?史実を全部捻じ曲げるわけにもいかず、ああは描いたけれど、私、何度も心が折れそうになった。あなたが生死の境を彷徨ったり、不本意な任務をこなしたり他にも色々っ……酷過ぎたよ」

また額に彼の唇が触れた。そして、右の頬にも冷たい唇の感触が。

「だが、俺は千世子さんを信じて、全てを受け入れた。何度も死を覚悟しながら、それでも目に見えないあんたの熱い想いが俺を包んで護ってくれていると思えて…心強かった。だから最後までやりとおせた」

今度は左の頬に唇が落とされた。千世子はただ彼の言葉を聞いていた。

「俺も俺の想いをあの世界からあんたに送ったつもりだ。だからあんたは俺が他の女達と係わっても見守っていてくれたと思っていた。明治での妻や家族はかけがえのない存在だったが、俺達の想いはそれとは別の次元だと信じていたのは俺だけか……?互いに意思の疎通は図れなくても、俺達の想いは一つの筈だ、と俺だけが……?」

冷たい唇の感触は、何度も頬に落とされた後、彼女の耳や首筋に当たり始める。

「だが、史実の制約があったあの時代と現代では違う。俺たちは次元を超えて前より通じあえたはずだ。なのに、特にこの何年かは、あんたが俺から離れてしまったように思えて仕方が無い。試験には必ずパス。ピンチに遭っても軽く解決。仲間たちが捜査で重傷を負うのに俺だけは無事だ。人脈も、本来は縁が無い上流社会の人間と繋がりができてしまう。女には全く不自由しない。勿論、俺自身が何事にも努力はしたが、事が何もかも上手く運びすぎる。そんなお膳立てされた人生に、しかも『あんたが居ない人生』に俺が本当に満足すると?」
「…あのね……元禄の時だって、幕末の時だって、全部私がお膳立てしたのと同じじゃない。あなたの人生は私が描いたんだから。だったら今の人生だって同じことでしょう?その……現状を受け入れてもらう訳にはいかないの?私、あなたが昔の様に傷ついたり挫折する姿は見たくなかったのよ!」

千世子は目を開いてそう呟いたが、斎藤の頭は彼女の首筋に埋められていて、彼の表情を窺う事は出来なかった。

「俺が不満に思うのはそこだ。あんたは俺を過保護にしすぎた。俺から言わせれば、それは逃げだ。俺の人生を楽にすれば、そちらも心が楽だ。あんたは俺を甘やかす事で、もう俺と真剣に向き合う事を止めてしまったんだ」

彼は千世子の耳や首筋に唇を這わせ続け、切なげに囁いた。
次第に擽ったく、ぞわぞわと逆毛立つ感覚が彼女を包み始める。
その妖しい心地よさと、背中の帯目が体に食い込む痛みから逃れたくて、彼女は斎藤の体を退かそうと試みた。

「駄目だ。逃がさないぞ」
「帯が背に当たって痛いの。着物には慣れてないもの。すごく苦しい。だから体をどけて」
「そうか、ならば……」
「きゃっ」

斎藤は彼女の腰と背に腕を廻すと、自分の体ごとくるりと回転し、ソファから絨毯敷きの床の上にどさりと落ちた。
彼は自分が下になる様に落ちたので、今度は千世子が彼の体に覆い被さるような形になった。
彼女は一瞬、何が起きたのか判らず、彼の体にしがみついた。

「そうだ、俺に縋っていればいい。今の俺の人生に欠けているもの、俺が望んでいるもの、口で言ってあんたに理解してもらえないなら―――体で判ってもらうしかない、な」

逃げなければ、と思った時には千世子の頭は斎藤の手によってがっしりと掴まれ、唇を乱暴に奪われていた。
10数年前の時とは違う、大人の、それも女に慣れた男の口づけに彼女は困惑した。

しかし、斎藤をこのような男にしたのは彼女自身なのだ。
元禄時代の、生真面目で天然キャラの、笑いを誘う愛すべき若侍も。
幕末明治に波乱万丈の人生を送ったストイックな誠の武士も。
現代の、銃と女の扱いに慣れたハードボイルドな少々黒い男も。
全部、彼女の創り出した斎藤なのだ。

ただ現代の斎藤は、元は彼女が心を傾けて創り上げたキャラクターだった筈だったのに、連載の進行と共に出版社・編集者・そして読者の「こんな斎藤チーフが読みたい」「こんなヒーローが欲しい」という意向がかなり影響した彼に変化していた。
彼女はようやく、敢えて目を背けていた事実に向き合う。

彼自身が望む彼ではなく、読者のニーズに流された少しダークなヒーロー。
仕事や仲間には満足して感謝していると口にはしたものの――。
彼は『あの幕末明治の人生を受け入れ、全うした後に、唯の虚構のヒーローになりたくて新しい人生を望んだのではない』と、訴えたかったのだ。
千世子は、彼の訪問の意図を理解する。

蕩ける様な口づけから解放された瞬間に、彼女は息を切らしながら謝罪を口にした。

「ごめん……。私、あなたのなりたい斎藤一じゃなくて、人々が読みたい斎藤一を描いていたんだね。ごめんなさい……やっと判った」
「そうか、ならいい。だが、もう止まらないぞ。話は後だ……」

(そうね、白桜隊の斎藤チーフなら、任務遂行の為に落とすべき女を逃す筈が無いわよね…)

彼に床から抱き上げられて、千世子はスイートルームの巨大なベッドに放り投げられた。
柔らかなそこに着地すれば痛みは感じないが、着物の裾が大きく乱れた。
裾の内側から白い足袋とそれに続く脛や脹脛が露わになる。
気が付いて乱れを直す暇もなく、彼にその両方の足首を掴まれていた。

「あんたも承知のように、俺は着物には慣れている。脱がすのも着せるのも造作無い」

千世子は男の放つ凄みのある色気に、ただただ身を硬くして彼を見つめるしかない。

「だが江戸の頃と違って、現代ではどうしてこうも余計なものを体に巻き付ける?あんたの愛すべき元禄時代の俺や新選組の斎藤なら、きっと惚けた台詞を吐くだろうな。この襟合わせの伸びる紐(ベルト)は何だ?この胸や腰回りに巻いた手拭いは必要なのか?この紐の数の多さはなにゆえだ?とかな」

くっくっと軽い笑い声を立てて、面倒そうに髪をかき上げながら、彼は千世子を追い込んでいく。

これでも彼は軽口を言って彼女の緊張を解くつもりなのだろうが、千世子にしてみればこの先我が身に起きる事への心の準備で精一杯だった。
そしてこの現代でどれだけの数の着物姿の女を彼が抱いたか、自分の作品を思い返してみたが、パニック状態の今は思い当たる場面は何も出てこなかった。

「もし、折角の着物を脱ぎたくないとお望みなら……着物の裾を多少派手に乱すだけで、あんたを満足させる事も出来るが……?好きな方を選んでいいぞ」

男の冷たい指の感触が脹脛から大腿へと移動するにつれ、背筋に電流が走った。
ほんの僅かの恐怖と、この先のめくるめく時間への期待と、内に隠していた情熱が、彼女の中で踊り出す。

私、彼をこんな悪い男にした覚えはないのに―――彼女は内心で斎藤の進化、いや変化に身震いしながらも、大人の女のプライドを振り絞って、袋帯の色と合わせた上品な帯締めの結び目を自ら解いた。

「俺を殺してくれ。千世子さん、あんたの手で俺を……逝かせてくれないか……」

耳元で熱く囁かれた。
それで彼女は決意した。これからこの男と、ある意味『心中』するのだと。


千世子がかつて愛した男はここにはいない。彼が望んだ彼もここにはいない。
あるのは唯の、男と女の身勝手な想いだけ。
今夜は―――それでいい。





結局、この夜、千世子の大人の女のプライドは呆気なく踏みにじられた。
彼女は、まるで何も知らぬ少女の様に斎藤に翻弄され続け、彼女自身、自分の人生に欠けていたものを見つけたのだった―――。





(その3 おわり)
  1. 2014/06/09(月) 10:45:39|
  2. 頂きもの
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<劇場版観ました! | ホーム | 薄桜鬼漫画「その笑みの向く先」10>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://kougethuan.blog.fc2.com/tb.php/592-7f87c9d5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)