皓月庵

乙女ゲーム中心の趣味に走ったアナログ二次創作ブログ。マンガと小説のごちゃまぜ^^;

「不遣の雨。そして瘴雨」

酔狂元乙女さんからの続けての頂き物です^^
※こちらは今回斎藤さんが黒く、千鶴に救いがありません。後味が悪く感じる人もいるかもしれませんので、以上が駄目な方はスルーして下さいね。

最初は雨の土千イラストに頂いたSSだったのですが、それに続けて斎藤さんver.を頂きました。
で、何となく繋がってるなら繋げてしまったら、と言ったら、改稿してひとつのお話にして下さいました♪
ありがとうございます^^

しかしそれに伴い、最初はいい雰囲気の土千SSだったのに、通して出来あがったお話ではその土方さんが酷い上司に(^^;
これは読む人の見方なんでしょうが、私には黒斎藤より、土方さんの方が悪い大人に見えてしまったんですよね。
天然で行動して黒い結果になる人より(これはこれで扱いが大変ですが;)、悪い事をしていると意識しながら黒い事をする人の方が私は苦手なもので;
皆さんはどうなんでしょう。


ではでは、
私のようにどんな斎藤さんでもどーんとこーい!の方はw 続きからどうぞ^^



挿絵は感謝を込めて、酔狂元乙女さんへ進呈します。
他の方はご遠慮下さいね。




不遣の雨。そして瘴雨





それは土方さんの御供をして、出先から屯所へ戻る道中のことだった。

空が俄かに暗くなったかと思うと――。
ぽつり、と頬に冷たいものが当たった。

「あ……土方さん、降ってきましたよ」
「ったく、こんな時に……間の悪い雨だぜ」

雨足は弱く、すぐに止むかとも思えたが、付近には雨宿りできそうな場所は見当たらない。
土方さんは羽織を脱ぐと、それで私達二人を包み込むように頭の上に広げた。

「梅雨入りにはまだ早ぇしな。新雨、緑雨、青雨、翠雨……ちきしょう、上手い言葉が思いつかねえな」
「何ですか」
「新緑の頃に降る雨の事だ。仕方が無い、濡れて帰るか。一句捻りながらな」
「私には……不遣(やらず)の雨だと、いいな」

そう呟くと、一歩先に踏み出した彼の足が、はたと止まった。

「おめえ、面白い事を言うじゃねえか。そいつはどういう意味だ?今から帰る出鼻をくじかれて嘆きの雨か、それとも、屯所へ帰ろうとするのをこの雨に引き留められたいのか――」

紫の瞳がじっとこちらを見つめてくる。

――どうか汲み取って下さい、私の気持ち――

多忙を極めるこの人の周囲には、いつも幹部の皆さんを始め大勢の人が入れ替わり立ち替わり出入りする。
二人きりになれる時間なんて無かった。それは勿論、私の我儘。
新選組の副長とその小姓。
私達の間はそれ以上でもそれ以下でもないのだから―――。
ただ、この人に憧れて。傍にいたくて。
そして、「この人」の傍にいる間は「あの人」の束縛から逃れられる事が嬉しくて。

――あと、少し。あとほんの少しだけ、この時間が続けばいい――

口に出来ない自分の想いを。
その想いを込めて、彼の瞳を見つめ返した。
大人の男(ひと)の瞳には、ただ静かな色が広がっていた。


いつしか雨は、無情にも先程より強く降りだした。

「おい、このままじゃあ荷物が濡れちまうだろうが。走って帰るぞ」
「はい!」

一瞬の躊躇いの後―――私はきっぱりと応えた。
副長付き小姓の顔で。

(これが、現実。いつも、同じ……)

風呂敷包を抱え直して走り出そうとしたその時―――陰る、視界。
気が付けば、自分の唇を暖かなものが掠めていた。


カット440


「おめえ、そんな眼はな、惚れた男に向けるもんだ。そうしねえと、悪い男にこんな風にちょっかい掛けられちまうぜ?ま、戯れが欲しいなら、夜まで良い子で待っているんだな。今日の供の褒美に、お前の話し相手ぐらいしてやるさ」
「土方さん……」

思いがけない言葉に、息が止まるかと思った。
雨雲の中から一筋、光が差したように思えた。
情けない。
今の私は小姓の顔から、唯の娘に戻っているに違いない。
屯所の中では、決して見せてはならない若い娘の顔に。

「呆けてんじゃねえ。走るぞ」

土方さんと、彼の羽織の『傘』が私を置いて先に走っていく。

「待って下さい!」

私はその大きな背中を慌てて追いかけた―――。





ほんの少し走っただけで、突然、土方さんが足を止めた。

「おう、迎えに来てくれたのか。御苦労だったな、斎藤」
「いえ。丁度、非番でしたので」

木の陰から現れたのは、傘を手にした斎藤さんだった。
その時、何かが違う事に気が付いた。

(何だろう……いつもと違う、何か……)

「副長、これをお使いください」
「ああ、すまねえな。持ってきてくれたのは一本だけか?」
「生憎と。まさか雪村が一緒だとは存じませぬゆえ」

傘のやり取りをする二人の声を聞いて、はっとした。
普段より僅かに低く、微かに棘を含んだそれぞれの声。
土方さんはともかく、斎藤さんが上司に対してこんな声で話すのを、私は未だ知らない。

「おい千鶴、早くこっちへ入れ。濡れるじゃねえか」

土方さんは傘を広げると、濡れた羽織を腕に引っ掻け、私に傘の中に入るよう促した。
すると、私の目の前に立ち塞がる黒い背中。
斎藤さんが、土方さんから私を隠すように立っていた。

「早く今日の首尾を知りたいと、近藤局長が土方さんの帰りを待ち兼ねておられます。申し訳ありませぬが、急いでお戻りください。足の遅い雪村は俺が連れて帰ります」
「なんだ、近藤さんもやけに急くな。仕方ねえ、俺は一人で先を行かせてもらうとするか」

土方さんは、斎藤さんの肩越しにちらりと私を窺った。
私は目で必死に訴えた。どうか私もご一緒に、と。
なのに、彼は眉間に軽く皺をよせ、低い声で話しかけてきただけだった。

「この荷物を持つのは重かったろう。先方の手前、お前に持たせちまって済まなかったな。これは俺が預かっていく。お前はゆっくり歩いてこい」
「…はい……」

私は小姓らしからぬ元気の無い声で返事した。

「副長。荷物はこのまま雪村に持たせて下さい。我らは万一の時にすぐ抜刀できなければ困る身です。」
「そりゃそうだが、斎藤よ、お前はちっとばかしこいつに厳しすぎやしねぇか」
「…………」

斎藤さんは、ただ黙って頭を下げた。
そして、土方さんはそんな斎藤さんを見て軽く舌打ちした。

「日頃からお前は隊務に励み、本当によくやってくれている。こいつの世話役まで頼んじまって済まねぇともな。だがな、このところのお前さんを見ていると、負担を掛け過ぎたかと、柄にもなく後悔している。千鶴の世話は、若いお前一人で抱え込むにゃあ大変だろう。最初から源さんにでも頼むべきだったとな」

今の二人がどんな表情でいるのか―――知るのが恐ろしい。
私は荷物をひしと抱きしめ、俯いた。

「副長。それは、俺を雪村の世話役から降ろすと仰りたいのですか?俺の仕事ぶりにご不満が?」
「そうじゃねえよ。忙しすぎるお前の仕事を、他の連中にも振り分けてやろうってだけだ」
「俺の事ならご心配には及びません。今後も副長のご期待に添うよう、一層、隊務にも雪村の保護や世話にも励みますゆえ。むしろ仕事を減らされる方が、俺の矜持に反します」

ここに現れた当初に斎藤さんの声から感じた微かな棘は、姿を潜めていた。
その決意を述べる言葉には、何人も寄せつけない毅然としたものがあった。
だが、沈着冷静な人がいつにもまして感情を押えた声を出せば、それがかえって心の内を露呈するのは皮肉なことだった。
私は彼の内に、冷たく蒼い炎の激しい揺らめきを垣間見た。

「そうか……。お前がそこまで言うとはな。どうやら、俺はお前を甘く見ていたようだ」


しばしの沈黙の後、土方さんは意気消沈する私を無視して斎藤さんに冷ややかな一瞥を投げかける。
そして『急がねえと、な』と呟くなり早足で行ってしまった。
後に残された私と彼は、一つ傘の下でその背中を見送った。

「どうした、雪村。元気が無い様だ」
「いえっ、大丈夫です」

彼の冷たい探る様な声に、我に返る。
斎藤さんは私達を迎えに来て、偶然、木の陰から先程の土方さんとの一部始終を目撃したに違いない。
じわじわとした居心地の悪さが、私に襲いかかってきた。
預かった荷物が濡れないよう両袖で覆いながら、彼から少しずつ距離をとった。

「もっとこちらへ寄れ。このままではその風呂敷まで濡れるぞ」

見抜かれている。
そう、この人は私の事を何もかもお見通しなのだ。
私は諦めて、大人しく彼の差す傘の内に身を置いた。
狭い空間ですぐに肩が、腕が、触れてしまう。
触れるたび、着物を通して生温かい熱が伝わり合う。

――嫌。怖い――

土方さんの羽織の内にいた時には感じなかった嫌悪や恐怖が、ここにあった。

「なにゆえ今日は俺の許可なく屯所を出た」――冷たく響くその問いかけ。
「すみません。急に土方さんの御供をする事になって……」
「俺は非番で屯所内にいた。一言、告げる時間はあった筈だ」

唇を噛んだ。
土方さんが『お前も偶には息抜きが必要だろう?あの厳しいお目付け役から逃れてな』と、苦笑いと共に私を外に連れ出してくださったとは、口が裂けても言えなかった。

「はい…申し訳ありませんでした……」―― 視線を合わさぬよう、頭を下げる自分の声は……震えていた。



あの凍える夜、羅刹に襲われた私を救ってくれた、強くて美しい人。
月明かりの下、私を見つめる群青の冷たい瞳の底に暗い影が宿っているのを、あの時のまだ幼い自分が気付ける筈も無かった。
むしろ、この人に助けられた事を神仏に感謝したほどだった。
沈着冷静で良く気が付き、無表情の向こうにある優しさをすぐに察した私は、いつも彼に頼って、事あるごとに彼の名を呼んで助けてもらっていた。

(それでも土方さん、どうしてこの人を私の傍に付けたのですか……)
(あなたならこの人の別の一面を判っていたのでしょう?御存知の上で私を贄に……)
(それとも、あなたでも判らなかったのですか?まさか、ここまでの執着とは……)
(今になって気が付いて、私を置いて逃げたのですか………)

副長命令で私を監視し、護衛し、やがては日常の世話役となったこの人は、役目柄必要だからと私の日常の全てを把握し、管理しようとした。
しかも自分で監視できない時は、後で細かく報告させられる。
起床から就寝に至るまで、どのように過ごし、どの隊士とどんな会話をし、何を飲食し、そして体調に至っては、月の障りの有無まで―――それは情け容赦が無かった。

それでも、月日の流れとは恐ろしい。
当初は困惑し面倒にも思い、時には羞恥を伴った彼の監視や束縛も、いつしか慣れてしまい……。
今では『斎藤さんの云う通りにさえすれば、私はここで無事に生きていけるのだ』と思うようにすらなっていた。


―――あはは。馬鹿だね。選んだのは千鶴ちゃんなんだよ?一君に懐いて、いつも後を付いて回ったのは君なのに。だから土方さんだって彼が適任だって思ったのでしょう?
―――それにこの役目、彼の方からも願い出たみたいだし。土方さんも『懐刀』の頼みを断ったりしないよね。あの人にとっては、三番組組長にしっかりと隊務をこなしてもらうことの方が優先。その為には多少の事には目をつぶるのさ。

沖田さんの声が私の頭に響いた。恐らく 彼なら、そんな風に云うだろう。
そして、以前にこんな冗談を言われたのを思い出し、身震いする。

――この新選組で一番強いのは勿論、僕。でも、一番怖い人はね、山南さんでも土方さんでもなく、一君かもしれないね。そんな気がしない?
――だって、彼はいつも本気なんだ。人を斬るのも護るのも。刀を手入れする時も、料理をするときも、隊士達の面倒をみる時も。そして多分、誰かを愛する時もね。
本気過ぎて、誰よりも怖いのさ。だから千鶴ちゃん、彼に気に入られない方が幸せかもしれないよ。もし気に入られちゃったら……君の人生はそこで決まっちゃうかもね。あ、ごめん、これは冗談。


「千鶴」――突然、名前で呼ばれて我に返り、身を硬くした。
「はい」
「それを寄越せ。持ってやろう」――二人だけの時間、彼は時折、優しい顔を見せる。
「平気です。抜刀に差し障りがあるといけませんよね」
「構わん。いざという時は放り投げる」

事も無げに言い放つその口ぶりは、まるで『あんたも用が無くなれば放り投げる』と言われたようにも思えて、私はひしと荷物を抱え込んだ。
近頃の彼が優しさを見せる時――実はそれは、私を試している時だった。
彼に優しくされて甘えを出し、うっかり女らしい表情を見せようものなら、
『おなごの顔を見せれば、それはあんたの身を危うくするのだ』と、斎藤さんは私を嗜めるのだった。

「自分で持てます。これは小姓の御役目です」
「そうか、ならば役目を果たせ」

折角の厚意を無下にされたというのに、彼は満足げに頷いた。

「それでいい、雪村。あんたはそのように身を正しくしていればよい」



市中に入り大通りに差しかかる頃、雨が上がった。
屯所まではそう遠くない。
早く戻って、土方さんに荷物をお渡ししなくては……逸る気持ちを彼に気付かれぬよう、ぐっと押えた。

新選組の組長として顔が知られる彼は、隊務以外では裏通りを選んで歩く事が多い。
今日もやはり裏通りを進む私達が人気のない路地に差しかかった時、彼はその暗がりに私を連れ込み、傘を閉じた。

「あの……?」

不審に思って声を上げる私をちらとも見ようとせず、彼は傘を商家の塀に立てかけ、羽織を脱いだ。

「すっかり濡れてしまったな」

無理もない。さほど大きくもない傘の下で二人。
彼の肩にも私の肩にも、すっかり雨が浸み込んでいた。
ぱさぱさと、水滴を飛ばすように、彼は羽織を大きく振る。
そして、ふわりと頭上に被る様に持ち上げると、そのまま私に近付いた。

雨は上がったというのに、私の頭上に大きな黒い『雨雲』が広がった。

「雪村。俺に隠し事をするのは許さぬ」
「…………」

薄暗がりの中、いつもの感情の見えない静謐な瞳の奥に、爛々と目を光らせる野生の狼が隠れている。

「返答できぬか。俺が何も気付いていないとでも?」
「あの…さっきの土方さんとの事…ですね……」――仕方なく私は応えた。
「ああ、それもある。だが俺は少し前からのあんたの変化に気が付いていた」

絶望した。やはりこの人は何でもお見通し。
この囚われの生活の中で、私が安らぎを感じていた唯一の時間。
土方さんをお世話する僅かな時間。
土方さんと会話したりお手伝いするささやかな時間。
それが今の私にとって何よりの楽しみであり、支えになっていることに、斎藤さんは気付いていたのだ。

彼は片手で器用に羽織を持ち上げ、自分と私をすっぽりと覆うと、もう片方の手で私の頬に触れてきた。


カット459不遣の雨。そして瘴雨


「ここか。副長が触れたのは」

そして親指を私の唇にあてがうと、縁をなぞるように二、三度擦ったのだった。
この愛らしい唇が穢れてしまったか……。彼は哀しそうに、そう小さく呟いた。
そうしてすぐに、射る様な視線を向けられて、私は俯いた。

「今日の外出も、あのような『戯れ』も、あんたが願い出たのか?」
「い、いいえっ、違います」

顔を上げて、それだけは、はっきりと否定した。
ただ土方さんとの時間が欲しいと、心の内で望んだだけなのだから――。

「戯れを本気にするな。島原でのあの方の振舞いを思えば、あれはただの挨拶のようなものだ。あんたがいくら副長に想いを掛けようと、新選組に全てを捧げたあの方が、おなご一人を相手にされる事は無い」

判っている。そんなことは―――。

「なんだ。申し開きも否定もせぬのか。あんたは本気で副長を……?」
「そんな大それたことはっ!ただ、尊敬し、お慕いしているだけです」
「雪村。ひとたび女の顔を見せてしまえば、そこから綻びが出る。土方さんの様な強い武士は、反面、強い男の性(さが)を持ち合わせてもおられる。ふとした弾みであんたに手を出してしまう事もあり得るのだ。先程は戯れで済んでも、この先はどうなるか」
「は…い……」

でも、いっそ、そんな事になれば……私はこの人から解放されるのだろうか……。
このまま、この人の言いなりになる『人形』のような日々から……。
もし、土方さんに身を任せてしまえば―――。

そんな私の逡巡を嘲笑うかのように、斎藤さんは私に顔を近づけてきた。

「まだ判らぬのか。あんたは清らかな身だからこそ、大切に扱われてここに居られるのだぞ。一旦、身を持ち崩した女になってしまえば、たちまち狼達の格好の餌食になるだけだ」

そっと冷たく乾いた唇が、わたしのものに重ねられた。
それは、大人のあの人が掠め取っていった暖かく柔らかな口づけと同じく、ごく浅いものだったけれど―――。
あの人が与えてくれた刹那の喜びとは正反対の、おぞましい何かが私の中に残された。

「これはあんたへの戒めの口づけだ」

彼は耳元で囁くと、通りの人目から私を隠すように羽織を持ち上げ、また私に口づけた。
あの冷たく感じた薄い唇が、今度は確かな温もりを感じさせるほどの深さで、私への戒めを刻んだ。

胸の内に去来する感情を持て余し、私は涙ぐんだ。
逃げ出したいのに、手も足も動かない。
彼の視線に縛り付けられたこの身は、為すすべもなく立ち尽くすだけだった。

「千鶴」

また名前で呼ばれた。感情を押し殺した静かな視線と共に。
この声、この眼差しは、新選組預かりとなった最初の一年ほどは、最も安らぎを覚え、最も頼りにしたものだったのに。
どこで何が変化してしまったのだろう………?

「副長を敬いお慕いする気持ちは俺も同じだ。それは大切に胸にしまっておくがいい。そして、小姓としての自分を弁え、己を律して生きろ。副長であれ他の幹部であれ、二度とあのような戯れの相手とならぬよう、その清らかな身を穢されぬよう、女の顔を出してはならぬ。判ったな?」

声も出なかった。
土方さんへの淡い想いまでこの人に管理されてしまう……。
この先、私はどんな感情を持って毎日を過ごせばいいのだろう。
そして、更におぞましい言葉が投げかけられた。

「そうだな、今日の戒めを忘れぬよう、時々はあんたの唇に触れる事にしよう。それでよいか?」

同意など求めてはいないくせに。
それでも彼は目元を赤くし、どこか照れたような眼差しで私を見つめた。
思わず後ずさりする。背筋を冷たいものが走った。

「俺も気を付けてあんたを護るが、隊務中や留守中では護り切れない事もある。あってはならぬが、もし誰かがあんたの肌を穢す様な事があれば、その場所も新しい戒めとせねばなるまいな。そんな事は俺も気が進まぬが……何事もあんたの心がけ一つだ」


この人は本気だ――。
もし、私が今の清らかな身のままでいれば―――これからも本気で私を護り、抜かりなく世話をしてくれ、そしてずっと大切にしてくれるだろう。
もし、私が故意に誰かに身を任せれば、あるいは不本意に蹂躙されれば―――それでも彼は私を護り、親身に世話をし、大切に扱い……。
あとは、当然の様に私を抱くのだろう。『戒め』と称して。

(結局、他の誰に縋っても同じ。この人は私を手放さない――)



ぽつり。ぽつり。大粒の涙の様な雨が疎らに降ってきた。

「すぐに本降りになりそうだな。このまま走るぞ。屯所はそこだ」

彼は私の荷物を取り上げると、濡れないよう羽織で包んで走り出した。
私は塀に立てかけられたままだった傘を持ち、その後を追いかけた。

屯所に付いた途端、土砂降りの雨。
そして斎藤さんは荷物を持って局長室へ行ってしまった。





この雨は、まるで天から降り注ぐ黒い毒。
私を蝕んで、壊していく。
土方さんと共にいた時に降ってきた不遣の雨が、今はこの黒い毒の瘴雨に変わってしまったようだ。

父を探しに江戸を出る時、不遣の雨が私を引き留めていてくれれば、この人生は変わっていただろうか?
せめて一、二日、出立が伸びただけで、運命の歯車が変わっていただろうか?
そして都合よく父と会えるか、或いは松本先生と無事巡り合い、この人に出会わずに済んでいただろうか?


私は中庭に立ち、その土砂降りの雨をこの身に受けて、泣いた。
このまま、溶けて、流れて、この世から消えてしまえばいい、と。

「何をしている。馬鹿か、あんたは!」

いきなり後ろから抱え上げられ、屋根のある縁側の端に立たされた。
斎藤さんだった。
彼は私の身を案じ、真剣に怒っていた。

「ごめんなさい。ぼうっとしていて」

涙は雨粒が誤魔化してくれた。
ふと彼の背の向こうを見る。
私を複雑な表情で見つめる土方さんと、その瞳に憐憫の色を隠さない沖田さんが部屋の戸口に立って私達を見ていた。
彼らは私から視線を逸らすと、そっと障子の戸を閉めてしまった。

(私が自ら、この人を選んでしまったから……?)
(だから、誰も手を差し伸べてくれないのですか……?)

一縷の望みが断たれた瞬間だった。


そのまま連れて行かれた湯殿で、斎藤さんは甲斐甲斐しく私の世話を焼く。
濡れた下ろし髪。濡れた襦袢。
人に見せてはならない『紛れもない女の姿』の私を見るのは、彼だけの特権だと言わんばかりに、優しく抱きしめられる。
そしてまた『戒め』と云う名の口づけを受けた。


私は予感した。
いつの間にか彼の支配に慣らされてしまったように、彼の口づけにも慣らされるのだろう。
いずれ彼は、私の全てを手に入れるに違いない。




この日、私は生まれて初めて知った。
絶望より更に深い絶望が、この世には存在するのだ、と―――。




(了)





  1. 2014/05/29(木) 14:57:22|
  2. 頂きもの
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<暑い~(-_-;) | ホーム | 今頃大掃除>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://kougethuan.blog.fc2.com/tb.php/587-896d5837
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)